上を向いて、前へ進もう
魂を込めて戦った90分、
奇跡を信じ続けて戦った90分。
試合には勝った、それでも、届かなかった願い…

悔しいよ、すっごく悔しいよ。
降格が決まった「日立台の夜」もここまで悔しい気持ちには…

試合後のスタジアムの雰囲気で覚悟はしていた、妙な空気が流れてた。
それでも、新潟の勝利を知らされるその瞬間まで信じていた。
一通りのセレモニーが終わって、選手が場内を一周している間、
絶対に下だけは向くまいと思い続けていた。
ここで下を向いたら、もう前を向けなくなると思ったから…
選手たちが悔しさを押し殺して必死に声援に応えていた姿が痛々しかった。
社長が涙声で「来年こそはJ1に行きます」誓ってくれた。
もうそれだけで十分だった、これ以上やられるともらっちゃうじゃねーか。

この日フロンターレが流した涙の意味は絶対に忘れない、
いや忘れちゃいけない。
それでも、「昇格」すること以上のものを手に入れた日でもあった。
そう、確かにクラブとサポーターが一つになった。
今はただ一言「ありがとう」。
そして、声を大にして叫びたい、

「フロンターレのサポーターで幸せです」と…
そして、来年こそはみんなで嬉し涙を流せますように。


石崎監督へ、
勝ち点1の重みを支えてあげられなかったバカなサポーターでごめんなさい。
Document 2003.11.23
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    クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

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    ゆずれない想い
    今の俺たちにできること。
    チームを信じて戦うこと、魂を込めて戦うこと。
    そう、必ず起きる「何か」を信じて…
    俺たちだけしか信じることのできない「何か」、

    俺たちだけに与えられた、サッカー神様からの最後の「試練」、
    そしてその「試練」を乗り越えられた時に掴み取れる最高の「歓喜」
    2003年11月23日・等々力…
    俺たちは最高の「歓喜」を掴み取る、そして歴史の「証人」となる。

    2003年J2、泣いても笑っても残された時間は90分…

    ♪どんな時も俺達、そうさ心くじけない、
     青と黒の誇り胸に、さあ行こうぜ川崎いつも俺たちと共に、
     ぶちかませよ…Just Going Now...By 鉄のハート


    フロンターレのサポーターであることを誇りに、
    そして、生まれ変わってもフロンターレのサポーター…
    Document 2003.11.23
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      1100日の戦い…(3)
      運命の第4クール、チームは蘇った。33節の福岡戦からなんと7連勝、
      その中には、ここまで2敗1今村の「等々力満員大作戦・新潟戦」での
      3−0の快勝も含まれている、
      チームはこのままゴールまで突っ走るかに思われたが、
      「好事魔多し」とはこのことか、
      攻守の要・アウグストが累積警告8回で2試合の出場停止と
      なってしまったのだった。
      そのアウグスト不在の2試合で取った勝ち点はわずかに1、
      山形とはスコアレスドロー、
      甲府戦に至っては0−2の完敗、
      なんと1つの得点を挙げることすらできなかったのだった。

      この時誰もが感じたこと、
      それはアウグストの存在が想像以上に大きかったことだった。
      しかし、諦めることは許されなかった。
      アウグストが帰ってきた42節の福岡戦、
      前半1点のリードを許すも後半の32分間で5得点、
      「このまま行ける」誰もが確信した。
      けれども43節、勝って広島との等々力最終決戦に臨みたかった、
      しかし勝てなかった…
      湘南・坂本絋司の奇跡的なシュータリングゴールの前にまさかのドロー…
      結果、広島の昇格が決まった、そして残りの1枠は最終戦に持ち込まれた。

      だが、その条件は川崎にとってあまりにも過酷すぎるものになってしまった。
      最終戦「広島に勝って、尚且つ、大宮が新潟に勝つこと」
      川崎の昇格条件はこれだけ
      だが、川崎フロンターレを愛するものは誰も諦めていない、
      誰もが信じている、奇跡は起きるものじゃない、

      「奇跡は起こすものであること」を…
      そう、俺たちの戦いはまだ終わらない、
      いやタイムアップのホイッスルが鳴るまで終わらせるわけにはいかない…
      Document 2003.11.23
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        1100日の戦い…(2)
        開幕戦、
        ロスタイムの同点ゴールで幕を開けた2003年、昇格候補の1つに名を連ねていた。
        しかし、第4節の甲府戦をロスタイムに追いつかれたチームはドロー沼に嵌っていった。
        なんと最初の1クールだけで7つの引き分けを積み重ねた…
        負けないけど…勝てない。この頃のチームには何ともいえないもどかしさがあった。
        が、第2クールの初戦、一つの勝利がチームを立ち直らせた。
        開幕引き分けの後、破竹の10連勝で首位を突っ走る広島に1−0で勝利、
        そしてここから6連勝、
        追撃体制は整ったかに思われた18節、ここに落とし穴、いや悪夢が待っていた。
        主審・今村の新潟戦、まさかの4失点…いや失点は問題ではなかった。
        主審のジャッジに試合を壊されたのだった…
        この夜等々力は荒れた。ピッチには物が投げ入れられ、一部のサポーターが乱入した。
        しかし、これらは全てゲームをぶち壊した今村に向けられたものであった。

        この後もなんとか上位に食らいついてはいくものの、勝ちきれない試合も多かった。
        もちろん25節の広島戦のようにアウェー・10人で1点のビハインドを
        ロスタイムに追いついた試合もあったのだが。
        そして31節新潟戦、32節大宮戦、今季初の連敗…
        耐え切れなかったチームは一度は窮地に追い込まれた。
        Document 2003.11.23
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          1100日の戦い…(1)
          2000年11月18日、日立柏サッカー場…J2降格
          この日から俺たちの闘いが始まった。

          迎えた2001年シーズン
          堀井・ピッタ体制はチームを崩壊の一歩手前まで追い込んだ、
          攻撃はエメルソンの個人技任せ、守備に至っては統率の欠片もないチーム、
          当時の下位チームにはエメの個人能力だけで大勝することができた、
          しかし、エメを止める術を知っているチームに対しては、
          なすすべなく黒星を重ねていった。
          そして7月14日の甲府戦、まさかのドローの後、ついに堀井監督は辞任した。
          この試合を小瀬まで行って試合を見ていた私ですら「堀井じゃダメだ…」と思った。
          「このままではダメだ…」と思ったフロントは、
          この年大分の監督を解任されたJ2の名将・石崎信弘氏を監督に迎えた。
          石崎監督は真っ先にチーム戦術に会わないと判断したエメを浦和に放出した。
          そして、守備の建て直しから始まったチーム改革はすぐには結果は出なかった。
          しかしながら、最終節、山形の昇格を目の前で阻止してその存在感は示した。
          20勝21敗3分…勝ち点60の7位でシーズンを終了した。

          2002年シーズン
          この年、チームは改革を行った、若手主体のチームに様変わりした。
          開幕から好調だったチームではあったが中盤に入ると白星と黒星を繰り返した。
          その中のは大分戦での0−5の屈辱的の敗北もあった…
          しかし、ワールドカップによる中断がチームを蘇えらせた。
          後半戦、驚異的な追い込みで上位3チームを猛追した。
          そして迎えた第37節セレッソ大阪戦、チームは『等々力満員大作戦』を行った。
          当時のチーム史上最多の20405人の観客を集めた試合は
          マーロンの劇的なゴールで見事に勝利を収めた。
          しかし、このチームは最後の最後で詰めを誤った、次節の大宮戦で痛恨の敗北、
          そして負ければ昇格の可能性が消滅してしまう
          42節の大分戦にも敗れJ1昇格の望みは絶たれた…
          しかし、この年の戦いは天皇杯をきっかけに
          「この戦いができれば来年こそは…」と大きな希望を与えたシーズンでもあった。
          23勝10敗11分…勝ち点80の4位。チームは成長した、
          J1にあと一歩のところまで近づいていた。
          そして勝負の2003年へと続く…
          Document 2003.11.23
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            誓い…
            こんな試合の後だけど、川崎系サイトをあちこち巡回した。
            正直嬉しかった。
            だって、
            昇格諦めているヤツ誰もいなかったから…
            当然ながら、俺も昇格諦めていないからな。

            その中で見つけた、アウグストがサポーターに残したコメント、
            >>「何を落ち込んでるんだ!J1に行きたくないのか!まだ可能性がある。
            >>J1にあがるためにずっと合宿からがんばってきたんだ!
            >>俺は絶対J1に行く!行きたくない奴は残ればいいんだ!
            >>サポーターも最後まで応援してくれる!
            >>勝てなかったことは仕方ない!絶対に次の試合勝つ!」
            川崎に来てくれてありがとう、アウグスト。
            あなたが鹿島のサポーターに愛されていた理由が
            ほんの少しだけど分った気がします。
            どんなときも絶対の諦めないその気持ち、
            絶対に折れない強い心。

            あと90分、最後まで諦めない、最後まで応援する。
            そして、絶対に次の試合、そう最後の試合、
            サポーターの力で勝たせてみせよう。


            で、エリザベス女王杯…
            アドマイヤグルーヴとスティルインラブの叩き合いは純粋に楽しめました。
            Document 2003.11.23
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